遠藤周作「深い河」

 やき芋ォ、やき芋、ほかほかのやき芋ォ。
 医師から手遅れになった妻の癌を宣告されたあの瞬間を思い出す時、磯辺は、診察室の窓の下から彼の狼狽を嗤うように聞こえたやき芋屋の声がいつも甦ってくる。
 間のびした呑気そうな、男の声。
 やき芋ォ、やき芋、ほかほかのやき芋ォ。
 「ここが……癌です。ここにも転移しています」
 医師の指はゆっくりと、まるでそのやき芋屋の声に伴せるように、レントゲンの上を這った。(中略)
 沈黙がまた続く。耐えられず磯辺は立ちあがると、医師はレントゲンの方にもう一度、体を向けたが回転椅子の嫌な軋みが磯辺には妻の死の予告に聞こえた。