クロード・シモン『フランドルへの道』(平岡篤頼 訳)

 網の目のように交錯した溝が道の亜麻色の砂の上をはしり斜面のへりがすこしずつくずれそがれてこまかい連続的な地すべりを起こしすべり落ちしばらくは網の目の一本の枝を埋めてしまうがそれからまた雨水に洗われ浸食され押し流されて消えてゆき切れ目のない泉の水のわき出る音ぴかぴか光る木の枝にそって雫が追いかけごっこし追いつき落ちあい最後の枯れ葉夏の永遠に失われてしまった日日のもう二度ととりかえすことのできない日々の最後の名残りといっしょに枝をはなれて落ちてゆくその切れ目のない音をたてて世界全体が流れ去ってゆくのであっていったいおれはなにを彼女のうちに捜しもとめ期待し彼女のからだの上からだのなかにまで追いもとめたのかことばことばことば音音音彼におとらぬ気違いざたではえの足跡みたいな字で黒くなったあの幻覚にすぎない紙のたばとおんなじことだおれたち自身をあざむくために音だけの生活を生きるためにおれたちの唇が声に出すことばそんな音だけの生活にはあのカーテン以上の現実性もなく堅固さもなくおれたちはただあのカーテンに刺繍されたくじゃくが動き鼓動し呼吸するのを見たと思いこんでそのかげにかくれているものを想像し夢想しただけできっとふたつにたち切られた顔カーテンをだらりとたれさがらせた手さえ見もしなかったのに隙間風のかすかなそよぎを夢中になってうかがっていたので)、

   ※太字は出典では傍点