クロード・シモン『フランドルへの道』(平岡篤頼 訳)

(つまり想像力を手段として、つまり彼らの記憶のなかに見いだせるかぎりのあらゆる、見たり聞いたり読んだりした知識をかきあつめ、組み合わせて――そこのぬれて微光をはなつレールや黒い貨車やずぶぬれの黒い松の木の影などにかこまれ、ザクセン地方の冬の寒ざむとしたうすぐらい昼間――言語というもののはかない、呪文じみた魔力、名づけようもない現実をどうにか口にあうものに――にがい薬を子供たちにかくすあのなんとなく甘い糖衣みたいなものに――しようとしてでっちあげたかずかずの単語(ことば)の魔力を頼りに、きらきら光るまぶしいような映像を浮かびあがらせようとして)