沢木耕太郎『敗れざる者たち』「長距離ランナーの遺書」

 ふと、自分はなぜ生きつづけているのかという馬鹿ばかしいほどプリミティヴな疑問が、脳裡をよぎる瞬間がある。そんな時、暗い奈落の底から視野に入ってくるのは、一群の若い死者たちの姿である。なぜ死んだのか、なぜ生きつづけられなかったのか。しかし、そう問うことは、逆になぜあなたたちは生きつづけられるのか、と死者から問い返されることでもある。
 夭折した者の書が永い寿命を持つのも、その反問の刃が実に鋭利だからである。大岡昇平三島由紀夫の死を知って、《死ヌモノ貧乏》という言葉を脳裡に浮べた。しかし、夭折した者の輝きの前では、生き残っている者こそ貧しいということもありうる。三島の死の貧しさは、夭折できなかったものがそれを永く望みつづけるという背理を犯した者への、罰であったかもしれない。ぼくらが、晩年の三島のように「夭折を欲する」こともできないとするなら、生きつづけ生きつづけ、死者が遺した「思い」を引き受け、「問い」を引き受けながら生きていくより仕方がない。