福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

 このように書いていくと、いずれにしろ、「善意」などというものは、会社組織にはないのか、というような気分になるかもしれない。
 そう、ないんだね。
 でもそれは会社だけじゃない。世間というのはそういうものだ。純粋な善意だの好意だのというものはありはしない、と思ったほうがいい。善意からの施しをする人には、善をなしたという満足と快楽が漲っていることを忘れてはならない。
 無論、世間に「崇高なもの」がないわけではない。ただ、それは、本当に稀にしかないものだ。
 世間は、ただただ「利害」で動いている。
 好意とか、善意とかを当てにするのをやめて、自分がきちんと人に「利益」を与えられる人間になること。それが大事なことだ。
 君が仕事をきちんとこなし、職場の役に立つようになれば、君は正当な尊敬と好意を受けられる。
 無能な君は好意に値しない。
 だから、値しない君にたいして、善意や好意を差し出す者には、何らかの邪まな意図か思惑があると考えたほうがいい。それが前提だ。
 逆に云えば、能力もないうちに、人の好意を当てにしてはいけない。善意を求めてはいけない。
 何もできない、何ももっていないのに、幸運と好意を他人に期待することは、人生を無駄に送るための、一番簡単な方法だ。
 人から好意的に扱ってもらいたかったら、自分を磨きなさい。優しくしてもらいたかったら、それに値する人間になりなさい。
 利害の絡まない友情や信頼を探すのは、このことを骨身に染みるまで理解してからでいい。
 ここまで書いたことは、別に会社生活を送る上での、処世術を示そうとしたわけじゃない。
 君に伝えたかったのは、「人をよく見る」「観察する」ということだ。
 ちょっとした君への接し方だって、きちんと見ていれば、いろいろな都合や利害の綾がある。そういう文脈をきちんと観察し、認識すること。
 人をよく見ること。
 それが、若い人にとって、一番大事なことなんだと思う。
 注意深く、自分の周りを眺め、どのようなかかわりや都合で、人が動いているか、じっくりと見極めること。
 その上で、はじめて、自分がそこでどう振る舞うべきか、何ができるか、ということが分かってくる。
 そういった観察は、職場を離れても、役に立つ。というよりも、世間というものは、そういう観察から得た知識でしか捉えられない。
 いくら雑誌や本で人間関係のことを読んで勉強しても、そういう知識は身にならないんだね。
 やっぱり、自分が生きている現場で、人の言動を観察して得た知見じゃないと、生きたものにならない。
 だから、じっくり見て、考えなさい、ということだ。