福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

 君も、しばらくすると、この世界が、どうでもよい言葉ででき上がっていることを知ることになるだろう。そして、自分でも朝から晩まで、そういう言葉を口にすることになるだろう。
 たとえば、営業なり、連絡なりで客先に行く。
 相手が、君に関心をもっていろいろと尋ねてくれたり、有益な情報を教えてくれたりするということは、ほとんどない。もしも、あったならば、多少の警戒心を抱くぐらいの知恵を備えなければならない。
 大抵は、君のために時間をとってくれたとしても、面倒臭そうに、あるいは上の空で、君の前に坐っている。
 その時、君は、何とか話を切り出そうとして、特に切実な興味があるわけではないけれど、それでもこれなら相手がのってくれるんじゃないか、というような話題をもち出すに違いない。
 天気のことでも、政治のことでも、景気のことでも、野球のことでも何でもいい、相手の気を引くような話をするだろう。その話は、きっと、その日、何百万人もの営業マンが、日本中のオフィスや、応接室、喫茶店などで、口にしている意見であったり、感慨であったりするに違いない。
 だからと云って、それに馴れろ、と僕は云うわけではない。どうでもよい物云いにたいして、違和感をどこかにもっていることは必要だ。でもまた、そういうどうでもよいことを口にすることで、世間の人間がどうにか生きているということを、まず認識しなければならない。