福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

 オレは、加工最適の素材でも何でもない、という気持ちは分かるし、そういう気慨をもっていなければ何もなしとげられない、と僕も思う。
 だけれども、にもかかわらず、僕たちは、「世間」の都合と「自分」の都合を角(つの)つき合わせて生きていかなければならない。
 世間は強力だ。
 君の都合なんてどうでもいい。
 その世間にたいして、いかに自分の都合を押しつけるか。
 生きていくということ、自分らしく生きるということは、いかに自分の都合で生きるか、ということでもある。
 だとすれば、その力を身につけるためには、その前提として、世間の都合に身を合わせる術を学ばなければならない。
 向こうがどうやって、手前の都合を押しつけてくるかを学ばないと、自分の都合で生きていくことはできないんだ。
 そして、世間が君を――それは君だけではない、あらゆる若い人を――受け入れてくれる透き間なんてものは、本当に狭いものだ、ということを身をもって知るといい。
 君が妥協に妥協を重ねて、最低これならば手をうってもいいという水準を、向こうはもっともっと値切って、その下の下ならば受け入れてやると云う。
 それでも、受け入れてもらえるというのは、今の時世だと、ある意味で僥倖だ。
 そして、その「狭さ」を実感することは大事なことだ。
 それを実感して、はじめて君は、自分の都合で生きることの難しさを知り、そのために戦う覚悟があるか、あるいはもうやめるのかを、決めることになるからだ。


 就職しなさい。
 内定をもらえるように、努力しなさい。
 大きい志も、すべてそこからはじまる。