福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

 でも、世間というのはそういうものでね、才能なんていうものには、一円も金を払わない。それが「かたち」になるまでには、一円の値打ちも認めない。それが世間というものだから仕方がないよ。
 だから、逆に云えば、君がそういう才能の持ち主だと思うのならば、けして世間には期待してはならない。
 君が才能を、誰も文句を云えない具体的な「かたち」で示すまで、世間は君を認めてくれない。その時まで、つまりは世間を平伏させられる成果を上げる時まで、たゆむことのない強い意志と、泣き言を云わない覚悟がないのならば、才能というのは、ないのと同じだ。
 強い云い方だけれど、もしも君にそういう志望があるのなら、肝に銘じて聞いてほしい。世間はたしかに才能を求めている。簡単な金儲けの種として。甘言を弄し、訳の分からない育成プランなどを並べて、それを育てる、尊重する、と語っている。
 しかしそれは、きわめて上っつらだけのものであって、実際に世間が才能を認めるのは、それが「かたち」になり、ある程度の「持続性」があると判明してからのことだ。それを勘違いして、世間に期待をしたり甘えたりすれば、君にあるかもしれない才能などというものは、すぐに消えてしまうだろう。
 才能があるということは、天分とともに、それを強力に、執拗に世間に押し通していく強さがあるということだ。