赤松啓介『夜這いの民俗学』

 結婚と夜這いは別のもので、僕は結婚は労働力の問題と関わり、夜這いは、宗教や信仰に頼りながら過酷な農作業を続けねばならぬムラの構造的機能、そういうものがなければ共同体としてのムラが存立していけなくなるような機能だと、一応考えるが、当時、いまのような避妊具があったわけでなく、自然と子供が生まれることになる。子供ができたとしても、だれのタネのものかわからず、結婚していても同棲の男との間に出来たものかどうか怪しかったが、生まれた子供はいつの間にかムラのどこかで、生んだ娘の家やタネ主かどうかわからぬ男のところで、育てられていた。大正初めには、東播磨あたりのムラでも、ヒザに子供を乗せたオヤジが、この子の顔、俺にチットモ似とらんだろうと笑わせるものもいた。夜這いが自由なムラでは当たり前のことで、だからといって深刻に考えたりするバカはいない。