本田和子『異文化としての子ども』

 確かに砂場の子どもたちは、エホバの業を演じる。その手指は勤勉に動いて、一メートル四方にも満たぬ砂場空間の中に大陸を出現させ、海を招き寄せ、時には植物を繁らせたりもするのだ。しかし、それらのすべてを超えて彼らが創造主の力を発揮するのは、多田も指摘するように、その破壊の瞬間であろう。懸命に築き上げたかに見える世界を、踏みつぶし、蹴ちらす子どもたち。私どもは、ついさっきまでの砂場と、跡形もなくこわし尽くされたその場とを見較べながら、聖なるものの持つ本来的な暴力性を想起せざるを得ない。砂と水に向き合うとき、子どもらはまさしく神に似るのである。