2015-08-19から1日間の記事一覧

本田和子『異文化としての子ども』

しかし、共同体による「通過儀礼」の消失と共に、「病気」という「通過儀礼」もまた、姿を消しつつあることに注目せねばなるまい。病児と家族との間に、「生命を看取るもの」という抜き差しならない関係を出現させ、共に「生死の深淵を覗きこませる」、常な…

本田和子『異文化としての子ども』

サーカスや見世物は、しばしば子どもの誘拐と結び付けられ、「人さらい」神話に彩られてきた。人々は、演技者の上に「さらわれた子ども」のイメージを重ねつつ、その肉体の極限に挑む演技にひときわ胸を熱くし、拍手を送ってきたのであった。こうした「人さ…

本田和子『異文化としての子ども』

それゆえに私どもは、子どもたちのきれぎれの言動にも、何かしら前後の脈絡を見出して、辻褄を合わせようとする。そうすることで、辛うじて自身を納得させるために。その結果、私どもは、子どもたちの世界が、非連続に見えて、その実、切れ目もなく連続する…

本田和子『異文化としての子ども』

確かに砂場の子どもたちは、エホバの業を演じる。その手指は勤勉に動いて、一メートル四方にも満たぬ砂場空間の中に大陸を出現させ、海を招き寄せ、時には植物を繁らせたりもするのだ。しかし、それらのすべてを超えて彼らが創造主の力を発揮するのは、多田…