夏目房之助『マンガはなぜ面白いのか その表現と文法』(NHK人間大学 1996 7月〜9月期)

 そういういいかたをすれば、言葉は時間的なもので、絵は空間的なものです。欧米の言葉はもともと音で、音をあらわす文字によって成り立っているといわれます。ですから言葉はほとんど脳の聴覚処理部門で受けとられる。ところが日本の場合、かなという聴覚的言語と漢字という視覚的言語が組み合わさっているために、脳の聴覚、視覚両部門を同時に使って言葉をあやつる必要があります。
(中略)しゃべっているときにも我々は漢字を画像として思い浮かべ、それで同音異句を判別したりします。ということは、日本の言葉はもともと音と絵の交差する性格、時間と空間がすぐに交換できる性格をもっているのです。
 象徴的なのは漢字を音(おん)と訓で読む双面性でしょう。漢字という画像的な文字を日本(倭)の言葉で訓ずるという方法は、漢字と日本語を不可分に結びつけていて、日常的に絵を言葉に訳し、言葉を絵に移しかえる作業を日本人にさせているといえます。
 素人の与太話といわれるかもしれませんが、私はこの日本語の構造と日本マンガの特徴に深い関係があるだろうと思っています。日本マンガの絵と言葉の近さ(マンガの絵の記号性)、時間分節の緩さ(装飾的なコマ構成)、空白の活用(コマとコマのあいだの拡張解釈)といった、これまで述べてきた特徴は、いずれも時間的なものと空間的なものを即座に交換する日本語のしくみから読み解くことが可能なように思えるからです。
 もちろん聴覚(時間)的なものと視覚(空間)的なものを統合し、入れ替える作業は人類共通の脳の働きでしょうが、日本の言語がその面で特徴的であるとはいえる気がします。
 コマとは、もともと絵という空間を限り、それを並べて時間のようにみせかけた空間です。そこにとどまれば、コマとコマのあいだはただの隙間です。アメリカン・コミックスの世界では実際これを「ガッター」(隙間)とよびます。一方、日本では「コマの枠線」とよんでいます。コマには隙間と枠という二つの性格があり、この両者はポジとネガのように違います。
 隙間は時間と時間のあいだにできた消極的なものにすぎませんが、枠は空間的な存在で、昔の手塚マンガのように、まるで鉄棒にぶらさがったり、折れたりすることができます。手塚はその両義性に気づいていました。戦後マンガの初期にコマの時間的、空間的な両義性が意識され、やがて日本マンガの特徴にまで発展した。そう仮定できるなら、その過程に日本語を扱う我々の双面性が影響したとしても不思議はないと思うのです。