夏目房之助『マンガはなぜ面白いのか その表現と文法』(NHK人間大学 1996 7月〜9月期)

 時間分節の約束は、日本の本ではまず右から左へと読み進むことにあります。読み進むコマの順番のルールがまだ完全に定まっていなかった頃は、マンガのコマに一つ一つナンバーがついていました。このナンバーが廃止されるのは、「週刊少年マガジン」で六九年頃です。
 ちなみに欧米や韓国のマンガは逆に左から読み、香港、台湾のマンガは日本と同じ右開きの左方向読みです。これは基本的にその国の言葉の読み方にしたがっています。ですから右方向読みでの日本マンガの翻訳版などでは右投げ投手が左投げになってしまったりします。
 このことは案外に重要な意味をもっていて、(中略)これから事件に向かってゆく主人公は全部左に向いています。これは左に向かって読んでいくことが、左を進行方向とし、右を逆進や戻る方向として受け取るという暗黙の約束を成り立たせているからです。これからおこる事件に向かう人物はたいてい左を向いて描かれるのです。
 ただ日本マンガについてはそういえますが、欧米や韓国のマンガがそれじゃあ全部逆向きの意味になるのかというと、私のみたかぎりではあまりはっきりいえません。
 たとえば抽象絵画の理論書でカンディンスキーの『点・線・面 抽象芸術の基礎』(西田秀穂訳 五九年 美術出版社)という本がありますが、その中で基礎平面の方向のもつ意味について、こう書かれています。
《左は 遠方 をめざす》《右は 家 をめざす》
 つまり日本マンガと同じなのです。また秋山さと子ユング心理学へのいざない』(八二年 サイエンス社)という本では、箱庭療法や自由画の解釈のための《空間表象の見方》でいえば《向かって左側は内的な無意識の領域に向かう方向、右側は外的な現実に向かう方向》とされています。マンガの中が内的世界の想像で、逆が日常的現実という意味では一致しますが、マンガ作品の内部での意味でいうと内向的な場合はむしろ右を向き、外へ向かうときは左を向くときが多い気がします。
 いずれにせよ、マンガの絵やコマの方向の意味が日本固有の、あるいは各国固有のものなのか、もっと人類に普遍的なものなのか、一概にいいきれないものがあります。このあたりはもっと綿密に内外のマンガを比較したり、他の分野の研究から教わらないとわかりません。
 もっとも空間の上下にかかわる意味は、普遍的なものがあるといっていいと思います。カンディンスキーは、基礎平面の上は《希薄》《軽やかさ》《自由》を感じさせ、下は《稠密とか重さ、束縛》を感じさせると書いています。(中略)
 つまりコマの形式には、人間が空間の左右上下などに対してもつ文化的な意味が強く作用している。それが人類共通のものか、地域文化によるものか一概にいえないけれど、無意識の空間表象としてマンガの表現にかかわっているということです。それは一コマの中でも作用しますし、ページや見開き単位でも作用します。