黒田亘『行為と規範』

 しかしじつは、行為と行為ならざる人間の営みの境界はけっして明瞭ではない。クシャミをすること、シャクリをすることは行為であろうか。居眠りをすることは行為か。ボンヤリすることはどうか。たいていの場合、それらは行為ではないであろう。しかしたとえば、クシャミにある程度の意志が加わっている場合もある。居眠りすることが重要な意志表示になることがある。休暇をボンヤリ過ごすために綿密な計画を立て、細心の準備をするひともある。つまり、同じすること、なすこと、行うことが、ある脈絡では行為でなく、また別の脈絡では立派な行為になる。またその一方で、何もしなかったことがかえって重大な行為と見なされて、きびしくその責任を問われたりする。宿題をしてこない、注意義務を怠った、というようなのがその例である。つまり、ひとのすることが行為でない場合はいくらもあり、ひとのしないことが行為である場合も少なくない。

   ※太字は出典では傍点