2015-07-31から1日間の記事一覧

津覇実明「日本国憲法のために 沖縄をテクストとして」(「現代思想1999年2月号 特集 部落民とは誰か」所収)

「平和」「平等」を旨としながら、実は「差別」を発動するものとしての憲法に終止符を打つこと。あるいは、憲法の生命維持装置を外すこと。それは憲法の死=廃棄を意味しないことに注意して欲しい。逆である。それは憲法の自力呼吸を可能とするような再生で…

津覇実明「日本国憲法のために 沖縄をテクストとして」(「現代思想1999年2月号 特集 部落民とは誰か」所収)

「天皇」の名義で振り出した「日本国憲法」は国内の日本国民に流通するが、その実効性は実は添付された「安保条約」によって保証されることになる。勿論その裏書きはアメリカ合衆国である。しかし、「安保条約」の担保提供は沖縄人を中心としてなされている…

津覇実明「日本国憲法のために 沖縄をテクストとして」(「現代思想1999年2月号 特集 部落民とは誰か」所収)

憲法第一一条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」、同第一三条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追…

津覇実明「日本国憲法のために 沖縄をテクストとして」(「現代思想1999年2月号 特集 部落民とは誰か」所収)

明治憲法と日本国憲法との関係をめぐって不連続か連続かといった問題が理論構成の対象となるが、少なくとも同一の「声」の主が維持されている点ではその連続性は明白だと言うべきである。

津覇実明「日本国憲法のために 沖縄をテクストとして」(「現代思想1999年2月号 特集 部落民とは誰か」所収)

しかし、「日本国憲法」の文言を読む時、私たちは自分の声で読むことが可能であろうか。厳そかで、瞑目と沈黙と正しい姿勢を強制する「声」が響き出して来ないであろうか。その「声」は玉音放送から流れ出たあの「声」であり、かつて自身を「朕」と称してい…

黒田亘『行為と規範』

しかしじつは、行為と行為ならざる人間の営みの境界はけっして明瞭ではない。クシャミをすること、シャクリをすることは行為であろうか。居眠りをすることは行為か。ボンヤリすることはどうか。たいていの場合、それらは行為ではないであろう。しかしたとえ…