ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

そして、初めておれには納得がいった――なぜこの学校からだれひとり逃げだすことができないでいるのか。ほかでもない、かれらの顔が、姿が、形全体が、かれらの内部にその働きをおよぼして、逃走の能力を殺してしまったというわけなのだ。みながみな自分の歪んだしかめっつらの囚人だったのだ。だれもかれも逃げてこそ当然だったというのに、それをしなかったのは、すでにかれらがそうでなければならない本来の自分自身ではなくなっていたからなのだ。逃げるということは――ただ学校から逃げることばかりを意味したのではない。なによりもまず、自分自身から逃げることを意味したのだ。アア、自分自身から逃げること、

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