ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

まったくもう、どこやらの単純な人間がきみのことを単純だと思っているから、きみは単純だということになるので、馬鹿がばか呼ばわりするからこそ、きみは馬鹿にならざるをえなくなる――未成熟な手合いがその青くささにきみをひきずりこみ、青くさい汁にどっぷりつけるから、それで、きみまで青くさくなるというわけだ――アア、もしもこのなんとか息をつかせてくれる〈アア〉という言葉がなかったとしたら、本当に気も違いかねぬところだろう! 成熟した高級な世界にふれながら、しかも、そのなかへ、はいることができぬとは……高貴、優雅、理性、威厳といった特性から、大人たちの判断から、そして、互いに認めあい、ピラミッドのいただきに立ち、価値をもつことから一歩はなれて、ただガラスごしにむこうの飴をしゃぶるだけなのだから、堪らない! 大事な問題には通せんぼうをされ、そのまましんがりに加えられた余計者でいるわけだ。