パヴェーゼ『月とかがり火』(米川良夫 訳)

彼は世界じゅうを歩きまわったわけでなく、運をつかんで来たわけではなかった。この谷のだれもがたどる生涯を彼も同じように迎えることだってありえたのだ――木がのびるように大きくなり、女や山羊が年老いて行くように、ボルミダ川からむこうではどんな暮しをしているかも知らず、家と収穫と市とのあいだをぐるぐるとまわって過すばかりで年老いて行く。しかし、出て行こうとしなかった彼でさえ、何ものかが、運命が、その彼の身の上に訪れたのだ――ものごとは理解し、解決しなければならない、この世の中はよくできていないし、その変革はすべての人間に関係あることだ、というあの彼の考えが。
 今では納得できることだったが、子供のころ――山羊を追って走りまわっていたころ、冬、癇癪を起して足をかけながら粗朶を折っていたころ、また遊んだり、あるいは目を閉じて、またその目をあけたときに丘が消えてなくなっていないかと験(ため)してみたりしていたそのころでさえも――はやくもわたしはわたしの運命にむけて練習させられていたのだ――住む家もなく生きて行くように、丘のむこうにはもっと美しい、もっと豊かな国があるのではないかと、つねに夢みているようにと。