パヴェーゼ『月とかがり火』(米川良夫 訳)

故里はなくてはならないのだ、たとえそれが遠くへ出て行く歓びのためであっても。故郷とは一人っきりでないということを、そこに住む人のなか、そこに生えている草や木のなか、その土地のなかに何かしら自分と同じものがあって、自分がいなくとも、いつもそこに待っているものがあると自覚できることなのだ。とはいえ、そこにおとなしく、じっと暮していることは容易ではない。わたしはこの一年間、この村を遠くからじっと眺めて暮していた。そしてちょっとでも暇ができると、ジェノヴァを飛びだして帰って来るのだったが、それでもこの村はわたしの手からすりぬけて行くのだ。こういうことがわかるようになるには時間と経験が必要なのだろう。しかし、四十歳にもなって、しかも世界のさまざまな土地、さまざまなことを見て来たというのに、まだ自分の故郷がどういうところかわからないなどということが、いったい、ありうることだろうか?