『孟子』(告子下)

宋牼(そうかう)將に楚に之かんとす。孟子石丘(せききう)に遇ふ。曰はく、先生將に何(いづ)くに之かんとするやと。曰はく、吾聞く、秦楚(しんそ)兵を構ふと。我將に楚王に見(まみ)え、説いて之れを罷めんとす。楚王悦ばざれば、我將に秦王に見え、説いて之れを罷めんとす。二王は我將に遇ふ所有らんとすと。曰はく、軻(か)や請ふ、其の詳(しょう)を問ふこと無けん。願はくは其の指(し)を聞かん。之れを説くこと將に何如せんとするやと。曰はく、我は將に其の不利を言はんとすと。曰はく、先生の志は、則ち大なり。先生の號(がう)は、則ち不可なりと。


(語釈)
◇宋牼=人の名。周末、戦国時代に、諸侯に献策して歩いた遊説者の仲間。
◇之=ゆく。
◇石丘=地名。
◇先生=孟子が宋牼をさしていった語。
◇兵を構ふ=戦争をはじめたこと。
◇見え=お目にかかる。
◇之れを罷めん=戦争をやめさせる。
◇悦=意見が入れられること。
◇二王=楚王と秦王。
◇遇ふ所に有らん=見解や主張が一致する意。
◇軻=孟子の本名。孟子が自分で「軻や」と言ったのは、「私は」というのをていねいにした形。
◇其の詳を問ふこと無けん=こまかいことはどうでもよい。
◇其指=重大な大すじ。
◇何如=「如何」と同じ。どうしようとするのか。方法を尋ねる語法。
◇志=考え。
◇大=りっぱなことをいう。
◇號=名目。主張の趣旨。


(通釈)
宋牼という遊説の徒が、ちょうど楚の国へやって行こうとしていた。それに孟子が石丘の地で出くわした。孟子が言うには、「あなたはこれからどこへ行こうとなさっているのですか。」と。すると宋牼が言うには、「秦と楚とが戦争をはじめたという話だ。それで私は、これから楚の王様にお目にかかって、説き伏せて戦争をやめさせようと思うのだ。もしも楚の王様がきかないなら、私は更に秦の王様にお目にかかって、これを説き伏せて戦争をやめさせようと思う。二人の王様の内、どちらかは、きっと意見が一致するだろうと思う。」とのことであった。そこで孟子が、「私は、あなたのやり方のこまかい点までうかがおうとは思いませんが、その説得の要点だけ是非おもらし願いたい。どんな風に説得なさるおつもりですか。」と尋ねると、宋牼は、「私は戦争のマイナスになる点を述べ立てようと思う。」と答えた。これを聞いた孟子は、「あなたのお考えだけはごりっぱですが、説得の趣旨はまずいですね。」といって、自分の主張を披歴した。