三浦哲郎「忍ぶ川」

 志乃をつれて、深川へいつた。識りあつて、まだまもないころのことである。
 深川は、志乃が生まれた土地である。深川に生まれ、十二のとしまでそこで育つた、いわば深川ッ子を深川へ、去年の春、東北の片隅から東京へ出てきたばかりの私が、つれてゆくというのもおかしかつたが、志乃は終戦の前年の夏、栃木へ疎開して、それきり、むかしの影もとどめぬまでに焼きはらわれたという深川の町を、いちども見ていなかつたのにひきかえ、ぽつと出の私は、月に二三度、多いときには日曜ごとに、深川をあるきまわるならわしで、私にとつて深川は、毎日朝夕往復する学校までの道筋をのぞけば、東京じゅうでもつともなじみの街になつていた。