江戸川乱歩「押絵と旅する男」

 この話が私の夢か私の一時的狂気の幻でなかつたならば、あの押絵と旅をしてゐた男こそ狂人(きちがひ)であつたに違いない。だが、夢が時として、どこかこの世界と喰違つた別の世界を、チラリと覗かせてくれる様に、又狂人が、我々の全く感じ得ぬ物事を見たり聞いたりすると同じに、これは私が、不可思議な大気のレンズ仕掛けを通して、一刹那、この世の視野の外(ほか)にある、別の世界の一隅を、ふと隙見(すきみ)したのであつたかも知れない。