梅棹忠夫『文明の生態史観』

 インドは、ながくイギリスの植民地だったけれど、それにもかかわらず、この国には、一種の中華思想がいきているようにおもった。
 インドは、なんべんも外からの侵入をうけた。しかし、侵入者はみんなインドに同化したではないか、という自信である。なるほど、インドに侵入して、インドに同化しなかったイギリスは、けっきょく退却したのである。この種の自信は、中国にもみられるものと、ほぼおなじ種類のものである。中国では、国号さえも、「中華」〔世界の中心〕を名のっている。しかし、インドの場合、その中華意識の表明の仕かたは、中国の場合よりも、しばしばいっそう露骨であるようにおもった。
 インド人は、おそろしく自尊心がつよい。そのことは、インド人自身がみとめている。旅行前にも旅行中にも、インド人にむかってインドの批判はしないほうがいいという忠告を、いろいろなひとからうけた。もちろん、こちらはただの旅行者で、とうてい批判めいたことはいえもしなかったが、ときどき、たしかに、ずいぶん尊大だなあとおもわずにはいられないような事例にはぶつかった。のっけから、インド文化――とくにその精神文化の優越性を信じきっているのである。
 これも、われわれの国とはだいぶんちがう点である。日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している、一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。
 おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうとおもう。中国も、インドも、それぞれに自分を中心として一大文明を展開した国である。日本は、中国の辺境国家のひとつにすぎなかった。日本人は、まさに東夷〔東方の異民族〕であった。

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