国木田独歩「春の鳥」

 さて私もこの憐れな児の為めには随分骨を折ってみましたが眼に見えるほどの効能は少しも有りませんでした。
 かれこれするうちに翌年の春になり、六蔵の身の上に災難が起りました。三月の末で御座いました、或日朝から六蔵の姿が見えません、昼過(ひるすぎ)になっても帰りません、遂に日暮になっても帰って来ませんから田口の家では非常に心配し、殊に母親は居ても起(たっ)てもいられん様子です。
 其処で私は先ず城山を探すが可(よか)ろうと、田口の僕(しもべ)〔下男〕を一人連れて、提灯の用意をして、心に怪(あやし)い痛(いたま)しい想(おもい)を懐きながら平常(いつも)の慣れた径(こみち)を登って城址(しろあと)に達しました。
 俗に虫が知らすというような心持で天主台の下に来て
「六さん! 六さん!」と呼びました。そして私と僕と、申し合わしたように耳を聳(そばだ)てました。場所が城址であるだけ、又た索(さが)す人が普通(なみ)の児童(こども)でないだけ、何とも知れない物すごさを感じました。
 天主台の上に出て、石垣の端から下をのぞいて行く中(うち)に北の最も高い角の真下に六蔵の死骸が墜ちているのを発見しました。
 怪談でも話すようですが実際私は六蔵の帰りの余り遅いと知ってからは、どうもこの高い石垣の上から六蔵の墜落して死(しん)だように感じたのであります。
 余り空想だと笑われるかも知れませんが、白状しますと、六蔵は鳥のように空を翔け廻る積りで石垣の角から身を躍らしたものと、私には思われるのです。木の枝に来て、六蔵の眼のまえで、枝から枝へと自在に飛でみせたら、六蔵は必定(きっと)、自分もその枝に飛びつこうとしたに相違ありません。
 死骸(なきがら)を葬った翌々日、私は独り天主台に登りました。そして六蔵のことを思うと、いろいろと人生不思議の思(おもい)に堪えなかったのです。人類と他の動物との相違。人類と自然との関係。生命と死、などいう問題が年若い私の心に深い深い哀(かなしみ)を起しました。
 英国(イギリス)の有名な詩人の詩に『童(わらべ)なりけり』というがあります。それは一人の児童(こども)が夕毎(ゆうべごと)に淋しい湖水の畔(ほとり)に立て、両手の指を組み合わして、梟(ふくろ)の啼くまねをすると、湖水の向(むこう)の山の梟がこれに返事をする、これをその童は楽(たのしみ)にしていましたが遂に死にまして、静かな墓に葬られ、その霊(たま)は自然の懐に返ったという意(こころ)を詠じたものであります。
 私はこの詩が嗜(す)きで常に読んでいましたが、六蔵の死を見て、その生涯を思うて、その白痴を思う時は、この詩よりも六蔵のことは更に意味あるように私は感じました。
 石垣の上に立って見ていると、春の鳥は自在に飛んでいます。その一(ひとつ)は六蔵ではありますまいか。よし六蔵でないにせよ、六蔵はその鳥とどれだけ異(ちが)っていましたろう。


 憐れな母親はその児の死を却て、児のために幸福(しやわせ)だといいながらも泣いていました。
 或日のことでした、私は六蔵の新しい墓にお詣りする積りで城山の北にある墓地にゆきますと、母親が先に来ていて頻(しき)りと墓の周囲(まわり)をぐるぐる廻りながら、何か独語(ひとりごと)を言っている様子です。私の近(ちかづ)くのを少(すこし)も知らないと見えて
「何だってお前は鳥の真似なんぞ為(し)た、え、何だって石垣から飛んだの?……だって先生がそう言ったよ、六さんは空を飛ぶ積りで天主台の上から飛んだのだって。いくら白痴(ばか)でも鳥の真似をする人がありますかね」と言って少し考えて「けれどもね、お前は死んだほうが可(い)いよ。死んだほうが幸福(しやわせ)だよ……」
 私に気がつくや、
「ね、先生。六は死んだほうが幸福で御座いますよ」と言って涙をハラハラとこぼしました。
「そういう事も有りませんが、何しろ不慮の災難だからあきらめるより致方(いたしかた)がありませんよ。……」
「けれど何故鳥の真似なんぞ為(し)たので御座いましょう」
「それは私の想像ですよ。六さんが必定(きっと)鳥の真似を為て死んだのだか解るものじゃありません」
「だって先生はそう言ったじゃ有りませぬか」と母親は眼をすえて私の顔を見つめました。
「六さんは大変鳥が嗜(すき)であったから、そうかも知れないと私が思っただけですよ」
「ハイ、六は鳥が嗜好(すき)でしたよ。鳥を見ると自分の両手をこう広げて、こうして」と母親は鳥の搏翼(はばたき)の真似をして「こうして其処らを飛び歩きましたよ。ハイ、そうして烏の啼(なく)真似が上手でした」と眼の色を変て話す様子を見ていて私は思わず眼をふさぎました。
 城山の森から一羽の烏が翼(はね)をゆるやかに、二声三声鳴きながら飛んで、浜の方へゆくや、白痴の親は急に話を止(や)めて、茫然と我をも忘れて見送っていました。
 この一羽の烏を六蔵の母親が何と見たでしょう。

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