クロード・シモン『ペテン師』(松崎芳隆 訳)

 口を糊するためといって死刑囚になるわけにはいかない。奇蹟中の奇蹟ともいうべき偶然で物に存在理由があるとしても――一見したところそんなことは自明とは見えぬ、自明どころではない――また人に存在理由があるとしても、とにかく、毎日毎日を死に至るまでのたんなる足し算、苦労の無益な連続として疲れはてることだけが目的なのではない……
 たぶん、死ぬよりは生きていたほうがましだろう。というのが、少なくとも最も広まっている意見なのだ。けれども彼は宇宙を知りつくしてもうとっくに死んでしまっていた。宇宙よりも彼のほうが知りつくしていた。分解しはじめていた死体の上にもう花や茨が徐々に芽ぐみそめる荒野に、苦悶する野に死者として捨てられたとき、物の背後になにがあるか――実はなにもないのだけれど――見てしまっていたのだから。
 存在することをやめ、あとはただそれだけ。存在することをやめ、存在することをやめ、存在することをやめて。クランク装置の軸が日の終りのしじまの中に規則正しくきしむ。大木の緑の葉むらが白い道の上にせりだし、低い陽にきらめいている。夕陽はその葉むらのほとんど水平な円蓋の下に射しこんでいた。