アンドレ・ブルトン『ナジャ』(巖谷國士 訳)

私は誰か? めずらしく諺にたよるとしたら、これは結局、私が誰と「つきあっている」かを知りさえすればいい、ということになるはずではないか? じつをいうと、この「つきまとっている」ともとれる言葉にはとまどいをおぼえる。それはある人々と私とのあいだに、思いもよらなかったほど奇妙な、避けがたい、気がかりな関係をむすぼうとするからだ。この言葉はもとの意味よりもずっと多くのことを語り、私に生きながら幽霊の役を演じさせる。明らかにこの言葉は、いまの私という誰かになるために、私がそうあることをやめなければならなかった何かを暗示しているのだ。

   ※太字は出典では傍点