2013-05-23から1日間の記事一覧
彼は単に一個の怠け者にすぎなかったにも拘らず、自分では力一杯生きているつもりであった。彼は特に物事を底まで考えることが出来なかった。
暗い森を見てその中にゐる毛物を退治しようと思ふ子供よりも、この暗い森の中にどんな恐いものが住んでゐるだらうと感ずる子供の方が偉い人間になる。
人間はとしをとるにつれて、一種のあきらめ、自然の理法にしたがって滅んでゆくのをたのしむといった風な心境がひらけてきて、しずかな、平均のとれた生活を欲するようになるのですね。
「僕はといえば、人が褒めそやそうとしているあの隷従というものを、全力できらっているんです。隷従を強いられて、たいがいはそこからのがれられずにいる人間というものを、あわれだと感じはしますが、でも、僕が人間の味方につこうと思うのは、労働のきび…
彼女は名前をいう。自分でえらんだ名前である。「ナジャ。なぜって、ロシア語で希望という言葉のはじまりだから、はじまりだけだから。」
かさねていうが、私は自分が昼ひなかを歩く人間だと信じるよりも、夜のなかを歩いているほうが好きだ。働いているあいだは生きていたってしかたがない。だれしも自分自身の生活の意味の啓示を権利として期待できる出来事、私はまだそれを見つけていないかも…
私はいつも、夜、どこかの森で、ひとりの美しい裸の女と出くわすことを、信じがたいほどに願ってきた。あるいはむしろ、そういう願望はいちど口にしてしまうともうなんの意味もなくなるので、私はそんな女と出くわさなかったことを信じがたいほどに悔やんで…
私は誰か? めずらしく諺にたよるとしたら、これは結局、私が誰と「つきあっている」かを知りさえすればいい、ということになるはずではないか? じつをいうと、この「つきまとっている」ともとれる言葉にはとまどいをおぼえる。それはある人々と私とのあい…