石川淳『夷斎筆談』「風景について」

文人画の芸術家にとって、写生とは単にデッサンの稽古ではなかったのだろう。技術の練磨は生活の発見につながる。芸術と生活との可能はひとしく天地山川の間に求められるべきものであり、一草一木といえどもこの関係からのがれられない。蘭を描き竹を描く。いずれもかくあるべき生活の形態に対応する。技術はどうしても神妙でなくてはならない。描いてへたくそであったとすれば、精神も生活もひでえ目に逢う。伝神の語、ひとをあざむかない所以である。