ホルクハイマー『理性の腐蝕』(山口祐弘 訳)

理性の危機は個人の危機のなかで表明される。個人の能力として理性は発展してきたのだからである。伝統的哲学が個人と理性について抱いていた幻想――その永遠性についての幻想は消え失せつつある。個人は、かつては、理性をもっぱら自己の道具として考えていた。今日、個人は、この自己物神化の正反対のものを体験しつつある。機械が運転手を振り落とし、虚空を盲滅法に突進している。完成の瞬間に、理性は非合理で無能力なものになった。