ニーチェ『道徳の系譜』(木場深定 訳)

繰り返して問うが、いかにして苦しみは「負い目」の補償となりうるのであるか。苦しませることが最高度の快感を与えるからであり、被害者が損失ならびに損失に伴なう不快を帳消しにするほどの異常な満足感を味わうからである。苦しませること、――それは一つの真の祝祭であり、前述のように、債権者の階級や社会的地位に反比例して、ますます高く評価されるあるものである。これは臆測して言って見たまでのことである。というのは、こうした識閾下の事柄を徹底的に見極めることは、痛ましさはともかくとして、仲々困難な仕事だからだ。

   ※太字は出典では傍点