2011-12-22から1日間の記事一覧

ニーチェ『道徳の系譜』(木場深定 訳)

恐らくわれわれもなおわれわれ自身の仕事に対して「余りに善良」なのであろう。恐らくわれわれも、いかにその侮蔑者であることを自負していようとも、やはりこの道徳化された時代趣味の犠牲であり、餌食であり、患者なのであろう。――恐らくそれはまたわれわ…

ニーチェ『道徳の系譜』(木場深定 訳)

疑いもなく、病気であることは為めになる。健康であることよりも更に一層為めになる。病気にする者が今日では医者だの「救い主」なんかより一層必要であるようにさえ思われる。疑いもなく、われわれは今やわれわれ自身に暴虐を加えている。われわれは魂の胡…

ニーチェ『道徳の系譜』(木場深定 訳)

(女が光彩を放つためには是非とも一つの目的、一人の男を必要とする――すなわち戯曲を!)

ニーチェ『道徳の系譜』(木場深定 訳)

――しかし私は何を述べ立てているのか。もう沢山だ! もう沢山だ! ここでは、私には沈黙するというただ一つのことだけがふさわしい。

ニーチェ『道徳の系譜』(木場深定 訳)

しかしこれとともに、最も大きな、最も危険な病気が持ち込まれ、今日まで人類はそれに取り憑かれている。すなわち、人間が人間に、つまり自分に苦しんでいるのだ。 ※太字は出典では傍点

ニーチェ『道徳の系譜』(木場深定 訳)

その反面において、良心の上に「良心の疚しさ」の発明を有する者は一体誰であるか。諸君のすでに察知している通り、それは――《反感》をもった人だ!

ニーチェ『道徳の系譜』(木場深定 訳)

苦しむのを見ることは快適である。苦しませることは更に一層快適である――これは一つの冷酷な命題だ。しかも一つの古い、力強い、人間的な、余りに人間的な根本命題だ。のみならず、恐らくすでに猿すらもこの命題を是認するであろう。というのは、猿は種々の…

ニーチェ『道徳の系譜』(木場深定 訳)

繰り返して問うが、いかにして苦しみは「負い目」の補償となりうるのであるか。苦しませることが最高度の快感を与えるからであり、被害者が損失ならびに損失に伴なう不快を帳消しにするほどの異常な満足感を味わうからである。苦しませること、――それは一つ…

ニーチェ『道徳の系譜』(木場深定 訳)

何が今日「人間」に対するわれわれの嫌悪を起こさせるのか。――疑いもなく、われわれは人間に苦しんでいるのだからだ。――それは恐怖ではない。むしろ、われわれがもはや人間について恐るべき何物をももたないということ、「人間」という蛆虫が眼の前で蠢いて…

ニーチェ『道徳の系譜』(木場深定 訳)

――そのためには、諸君は殆んど牛にならなければならない。そしていずれにしても「近代人」であってはならない。その一つの事というのは――反芻することだ…… ※太字は出典では傍点

ニーチェ『道徳の系譜』(木場深定 訳)

われわれはいつまでもわれわれ自身にとって必然に赤の他人なのだ。われわれはわれわれ自身を理解しない。われわれはわれわれを取り違えざるをえない。われわれに対しては「各人は各自に最も遠い者である」という格言が永遠に当てはまる。――われわれに対して…

ニーチェ『道徳の系譜』(木場深定 訳)

われわれはわれわれに知られていない。われわれ認識者が、すなわち、われわれ自身がわれわれ自身に知られていない。それはそのはずである。われわれは決してわれわれを探し求めたことがないのだ。――われわれがいつかはわれわれを見出すであろうなどと、そん…