ヘーゲル『精神現象学』(長谷川宏 訳)

したがって、イメージされた神の死は、同時に、いまだ自己として確立されない抽象的存在としての神の死である。そこには、「神そのものが死んだ」という不幸な意識の苦しみの情がこめられている。このつらい表現は、内奥にひそむ単純な知の表現であって、それを発する意識は、自我=自我という夜の深淵に引きもどされ、闇のほかになにも区別できないし、なにも知ることがない。したがって、この感情は、事実上、実体神の喪失と、実体神と意識との対立の喪失をあらわしている。が、それは同時に、実体神の純粋な主体性をあらわし、目の前に対象としてある純粋な神には欠けていた、純粋な自己確信をあらわしている。イエスの死を知ることによって共同体の精神化がおこなわれるので、抽象的で生命なき実体神が死んだのちには、主体となった神が、教団の成員すべてに共通する、単一の自己意識として現実に存在するのである。