E・F・ロフタス+K・ケッチャム『抑圧された記憶の神話――偽りの性的虐待の記憶をめぐって』(仲真紀子 訳)

「スクリーン・メモリーは自分が重要で特別だという感覚、それに冒険心さえ与えてくれるのです」(中略)「クライエントは子どもの頃、愛されず、かまってもらえなかったと感じているかもしれません。また自分はごく普通の人間で、面白いことも変わったことも何ひとつ起きなかった、と感じているかもしれません。被暗示性の高いクライエントにとっては、ちょっとしたことでも、空想の世界に引きこもるのに十分な刺激になります。精緻化された疑似記憶のおかげで、彼らは自分が特別だと感じ、カウンセラーの関心を引き、魅了できるとさえ思うのです。カウンセラーが軽々しく魅きつけられ、暗示的な質問を行い、驚き、嫌悪、信念、疑念を表明し、意見を述べ、または興奮したり扇動したりすれば、クライエントは記憶が本物であることを立証せねばという圧力を感じるかもしれません。別の言い方をすれば、カウンセラーの反応が媒介となって、想像の産物が具体的な記憶となって固まるのです」。