コルタサル『石蹴り遊び』(土岐恒二 訳)

また人間はいつでも人間以上であり人間以下であるが、人間以上なのは人間はジャズが暗示しはぐらかし予兆しているものを内に持っているからであり、人間以下なのは人間はこの自由を美的・倫理的な遊戯に、その上で自らビショップかナイトになりすますところのチェス盤に、変えてしまっているからで、そんな自由な定義は学校で、正確にはラグタイムの第一小節、ブルースの第一楽句、等々が生徒たちにけっして教えられたことがなく今後もけっして教えられることがないであろうような学校というところにおいて、教えられているものだということを。