三木成夫『胎児の世界』

わたしたちの祖先は、遠い古代のむかしから「コ・コ・ロ」の音声を日常のことばとして蜿蜒とつかいつづけてきたのであろう。それが、漢字の渡来とともに、心臓を象る「心」の文字に当てられる。この音形象から視形象への翻訳は、かれらが「ココロ」と「心臓」を不可分のものと考えていたことを示す端的な証拠であろう。ここでの「心臓」は、そのハート形の顔つきにではなく、その独自の運動相貌、絶え間なくつづくその搏動の姿に、その本質が求められるのでなければならない。「ココロ」とは、したがって、この心搏に象徴される「リズム」そのものであることがうかがわれる。こころの微妙な変化が最も鋭敏に出てくるのが、この心搏のリズムではないか。
「花鳥風月のこころ」という。それは、人間以外の動植物はもちろん、地水火風の四大にも「こころ」が見られることをいったものであろう。そこで、いま、この「こころ」を「リズム」に置き換えると「花鳥風月のリズム」となるが、その意味はもうここでは明らかであろう。花鳥のリズムは「いのちの波」を、また風月のリズムは「天体の渦流」をそれぞれさす。前者が小宇宙のリズムであれば、後者は大宇宙のリズムとなる。そしてこの両者は、たがいに共鳴しあう。「花鳥風月のこころ」とは、したがって、森羅万象が「こころを一にして」息づく、まさに宇宙交響の姿をいったものであることがうかがわれる。