マルクス『経済学批判』(武田隆夫・遠藤湘吉・大内力・加藤俊彦 訳)

このようにしてすべての金鋳貨は流通過程そのものをとおして多かれ少なかれその実体のただの表章または象徴に転化される。だがどんなものでも自分自身の象徴になることはできない。絵にかかれたぶどうは実際のぶどうの象徴ではなくて、みせかけのぶどうである。だがそれ以上に、軽いソヴリン貨はじゅうぶんな重さのソヴリン貨の象徴ではありえない、それは、ちょうどやせた馬がこえた馬の象徴ではありえないのと同じである。こうして、金は自分自身の象徴となるが、しかも自分自身の象徴としてのはたらきをすることはできない、そこで、金がもっともはやく磨滅する流通の範囲、つまり購買と販売がごく小さな割合でたえずくりかえされる範囲では、金は、金としての定在から分離された象徴的な、銀なり銅なりの定在をえるようになる。