ブルーノ・タウト『日本文化私観』(森トシ郎 訳)

日本は、ある小さな対象の中に宇宙全体を包含せしめることが、最も大切なことであるということを教えてくれている。この対象物は、その実用を生かしている完全な美しさによって、それを取り扱う人間の性向をも包蔵するものである。この小さい物品は全然独立して存在するものであって、いかなる物といえども、これを他の物品と結合せしめることは出来ない。それの出来るのはただ人間のみである。かくのごとくにして、一個の花瓶、一個の茶筌(ちゃせん)、一個の香炉、一個の鉄瓶、一個の籠、あるいは茶釜等の一切のものが、絶対的な完成によって宇宙的なものになっているのである。技術的な点から云っても、あの鉄瓶の把手(とって)、これを熱くさせないためのこの把手の形と技術、さらにこの鉄の溶解性や特にこの鉄の銹(さび)止め――これらは、あの美しい形式が純粋な実用価値を有するのと全く同様に、美の切り離すことの出来ない一部をなすものに他ならない。