村井実『道徳は教えられるか』

つまり道徳を知識として教えるということは、第一に、知識の「授受」ではなくて、「理解」を言うのであり、しかもそれは、「教える」という言葉の制限された意味での働きかけとして考えられることが正当なのである。
 かりに道徳に知的以上のどのような要素があると考えられるにしても、一般の知識の領域――国語や算数――において、知的な理解がやがて自然に実践に導かれていくように、道徳の領域においても、まず知的な理解があるべきなのであって、いわゆる道徳的実践あるいは「徳」は、その上にのみ実現されてくると思われるのである。