山口昌男『文化と両義性』「岩波現代文庫版のためのまえがき」

「違和」とはもともと「からだの調和が破れること」という意味であり、転じて「他のものとしっくりしないこと。ちぐはぐ」(『広辞苑』)とされる。つまり、「違和」という語の原義は身体というミクロコスモスに関わるものであり、内部性の表現であったということになる。聖徳太子の十七条の憲法に「和をもって尊しとなす」という一節があるように、日本文化の中には「和」の理念の支配がある。先にも記したように「違」は内側に属するものの違いであるから「和」を前提としており、「違和」という語には同質なものの間の差異、内部における差異という意味が込められており、「違」「和」両者の結びつきは自然であると考えられる。
 これに対して「異」は、本書で使っている別のキーワードである「異人」「異化」などに現れているように、外部性を表すものである。「和」は内部性の表現であるから、「異」「和」の組み合わせの「異和」は水と油の如く、一つの枠組の中で表現されるはずのないものであった。