尾形明子『「輝ク」の時代――長谷川時雨とその周辺』

短歌における銃後意識、戦時色は、俳句、詩にくらべてはるかに色濃い。ひたすら聖戦を讃え、武運を祈り、兵の苦労に涙をこぼす。大仰で情緒的なわりには観念的な言葉の羅列が多く、実感から遠い。東歌の流れはあっても、天皇を頂点とした宮廷貴族の手によって洗練され育てられた和歌は、本質的には情緒と心情を歌うものであり、社会や政治、ましてそれらへの批判精神はなじみにくい。与謝野晶子の昭和十年代における戦争讃歌、愛国心が、王朝文学への若い日からの憧れによる天皇家への敬慕と崇拝の念から発していたことを思う。