ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』(市倉宏祐 訳)

こどもの生命をオイディプス・コンプレックスの中に閉じこめ、家庭的諸関係を幼年期における普遍的媒介項とみなすことによって、ひとは、無意識そのものの生産の働きと、じかにこの無意識に働きかける集団のメカニズムとを見失うことを余儀なくされるわけなのだ。とりわけ、根源的な抑圧や欲望する諸機械や器官なき身体などの一切の相互作用を見失うことを。何故なら無意識は孤児であり〔両親をもたず〕、無意識自身は自然と人間とが一体であるところに生産されるものであるからである。

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