薛濤「巫山廟に謁す(ふざんべうにえっす;謁巫山廟)」(全) (辛島驍)

亂猿啼く處に 高唐を訪へば、
路は煙霞に入って 草木香し。
山色 未だ宋玉を忘るること能はず、
水聲 猶ほ是れ襄王を哭す。
朝朝 夜夜 陽臺の下、
雨と爲り 雲と爲って 楚國亡ぶ。
惆悵す 廟前 多少の柳、
春來 空しく畫眉の長きを 鬭はす。


らんゑんなくところに かうたうをとへば、
みちはえんかにいって さうもくかんばし。
さんしょく いまだそうぎょくをわするることあたはず、
すゐせい なほこれじゃうわうをこくす。
てうてう やや やうだいのもと、
あめとなり くもとなって そこくほろぶ。
ちうちゃうす べうぜん たせうのやなぎ、
しゅんらい むなしくぐゎびのながきを たたかはす。


亂猿啼處訪高唐
路入煙霞草木香
山色未能忘宋玉
水聲猶是哭襄王
朝朝夜夜陽臺下
爲雨爲雲楚國亡
惆悵廟前多少柳
春來空鬭畫眉長


 あちこちにしきりに猿の鳴き聲がするあたり、楚王の高唐(こうとう)の夢にあらわれて、王と一夜の契りを結んだという神女を祭ってある巫山廟(ふざんびょう)をたずねると、路は霞の奥にわけ入り、かぐわしい草や木の香りが、心をすがすがしくひきしめる。頭の上に高くそびえている巫山十二峯の山々の色には、ここに祭られている神女と楚王との契りをうたった詩人宋玉(そうぎょく)のことが、しきりに思い出され、足もとに渦をまいて流れくだっている三峡の險の水音は、秦の白起(はくき)の軍の侵入によって都を奪われた楚の襄王のことを、あわれみ泣いているように聞こえてくる。宋玉の「高唐賦(ふ)」にうたっているように、この神女はこの巫山の南の高い石山のあたりに住み、朝は美しい色どりの雲となり、夕(ゆうべ)には雨となったというが、楚王はこの神女の美しさに心を奪われて、ついに國をほろぼしてしまった。廟(びょう)の前までたどりつくと、たくさんな柳の木が、春の光にめぐまれて、新しい葉をつけている。柳のほっそりとした葉の形は、美人のかき眉によくたとえられるが、神女は今もその柳の葉と、眉の長さをきそっているのであろうか。――柳の葉を見つめていると、楚王のことも神女のことも、二人の一夜の愛情も、そのことを詩によんだ宋玉も、さらに楚の國さえもが、みんな遠い遠い過去の日のことだと思われたが、神女の夢のなかの契(ちぎり)だけは、いたくあわれに思わずにはおれないのであった。