杜甫「岳陽樓に登る(がくやうろうにのぼる;登岳陽樓)」(全) (目加田誠)

昔 聞く 洞庭の水
今上る岳陽樓
呉楚 東南に圻け
乾坤 日夜浮ぶ
親朋 一字無く
老病 孤舟有り
戎馬 關山の北
軒に憑って涕泗流る


むかし きく どうていのみづ
いまのぼるがくやうろう
ごそ とうなんにさけ
けんこん にちやうかぶ
しんぽう いちじなく
らうびゃう こしうあり
じゅうば くゎんざんのきた
けんによってていしながる


昔聞洞庭水
今上岳陽樓
呉楚東南圻
乾坤日夜浮
親朋無一字
老病有孤舟
戎馬關山北
憑軒涕泗流


 昔から洞庭湖の壮観は話に聞いていたが、今思いがけずこの地に漂流して、始めて岳陽楼に上って眺めやる。呉・楚の地がこの湖によって、東南にひきさかれ、その水面ははてもなくひろがって、天地が日夜その上に浮かんでいる。思えば親戚朋友からは、一字のたよりだにもなく、老病のわが身には、ただ一葉の小舟があるばかり。山々にへだてられた北の故郷は、今も戦争が打ちつづいて、帰ってゆくこともできぬ。私は欄干(てすり)によりかかって、覚えず涙を流すのである。