「小弁(せうはん)」(「『詩經』 小雅 節南山之什(せつなんざんのじふ)」より)(抄) (高田眞治)

弁たる彼の鸒斯 歸り飛んで提提たり
民 穀からざる莫し 我 獨り于に罹ふ
何ぞ天に辜せらるる 我が罪伊れ何ぞ
心の憂ふる 云に之を如何せん


はんたるかのよし かへりとんでししたり
たみ よからざるなし われ ひとりここにうれふ
なんぞてんにつみせらるる わがつみこれなんぞ
こころのうれふる ここにこれをいかんせん


弁彼鸒斯 歸飛提提
民莫不穀 我獨于罹
何辜于天 我罪伊何
心之憂矣 云如之何


あの翼をうって飛ぶ鸒(からす)は、ねぐらに帰って、群らがり飛び、軽く挙って楽しげである。これを以て我は独り讒言によってしりぞけられて、家庭の団欒を得ないことに反比したのである。一般の人々は、その生を楽しんで日々を送っているのに、我は独り心に憂いを抱いて悲しむばかりである。我は何の罪を負うて、かくも天から罰せられるのであろうか。天に対して罪を犯した覚えはないのであるのに、かくも親の気に入らぬのは、何故であろう。これを思うて我が心の憂いは、これを何としよう。何ともしようもなく、ただ憂え悲しむばかりである。