武田百合子『富士日記』

 もうすでにおせんべいを何枚も食べたあとだったからか、主人はめずらしくすぐ、おせんべいを食べるのをやめた。残りの罐ビールだけを飲んでいる。そして手の中にあった食べかけのおせんべいのかけらを、テーブルの上にぽとっと置いた。歯が入ったから、パリパリと噛んで食べてみたいと長い間思っていた固いおせんべいを食べられるのが嬉しくておいしくて、毎日食べていたのだ。しばらくして、うっすら笑いながら「食べすぎると毒、のみすぎると毒、あの食べものは体に悪い――医者や新聞はいうがな。公害だから、この海の魚は毒、東京の空気はわるい――学者もいうがな。俺はそういうのはさっぱり判らん」
 「……」
 「生きているということが体には毒なんだからなあ」
 私は気がヘンになりそうなくらい、むらむらとして、それからベソをかきそうになった。