柳田国男『山の人生』

山に住む者の無口になり、一見無愛想(ぶあいそう)になってしまうことは、多くの人が知っている。必ずしも世を憤って去った者でなくとも、木曾の山奥で岩魚(いわな)を釣っている親爺でも、たまたま里の人に出くわしても何の好奇心もなく見向きもせずに路(みち)を横ぎって行くことがある。文字に現わせない寂寞(せきばく)の威圧が、久しうして人の心理を変化せしめることは想像することができる。