2011-09-26から1日間の記事一覧

レオニード・バトキン「自分の声を恐れずに」(中村唯史 訳)(アネッタ・ミハイロヴナ・サンドレル 編、沼野充義 監修『タルコフスキーの世界』所収)

しかしまた「何かのために生きる」ということも不可能だ。たとえその何かがとても大切なことであったとしても、それは生それ自身の過程にとっては表層の目的に過ぎないからである。

レオニード・バトキン「自分の声を恐れずに」(中村唯史 訳)(アネッタ・ミハイロヴナ・サンドレル 編、沼野充義 監修『タルコフスキーの世界』所収)

鏡の中の自分を見つめる行為は十分な密接さと集中力を伴うが、同時にある距離と違和感をも必ずや帯びているものである。鏡は向きと形を変えつつ、いつも仮借ない真実を我々に伝える。我々は鏡の中に自分自身の視線を見るが、それは同時に鏡の中の視線が我々…

レオニード・バトキン「自分の声を恐れずに」(中村唯史 訳)(アネッタ・ミハイロヴナ・サンドレル 編、沼野充義 監修『タルコフスキーの世界』所収)

真の意味での自分に出会うためには、人は自分自身と一度訣別しなければならない。自己の分裂は、全一性に至るための必要条件である。ただしここで言う全一性とは所与のものではなく、努めて獲得されるもの・内省的な性質のものであり、それはみづから変化し…

ジャン=ポール・サルトル「『僕の村は戦場だった』について」(斉藤毅 訳)(アネッタ・ミハイロヴナ・サンドレル 編、沼野充義 監修『タルコフスキーの世界』所収)

つまり、歴史は人間を選んで、その上に跨がり、自分の重さで潰してしまいます。