2011-12-29から1日間の記事一覧

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介 訳)

ダリはニューヨークにショックを与えることはできないが、ニューヨークはダリにショックを与えることができる。

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介 訳)

事実はくたびれ、現実は消費される。

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介 訳)

マンハッタン。ここには何かを意識している時間はない。

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介 訳)

初期の建物を保存するために破壊することは必要な行為なのである。マンハッタンの過密の文化では、破壊は保存の別名である。

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介 訳)

自分の過去とほかの建物の過去とに取り憑かれた家を建設すること、これがまがいものの歴史、「古さ(エイジ)」、そして威厳を生みだすマンハッタニズムの戦略なのである。マンハッタンでは、新しく革命的なものは、いつも親しみ深げな偽りの光に照らされて…

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介 訳)

水族館は無意識に対する意識のモダニズム的復讐である。魚、つまり「深海の住人」は無理矢理サナトリウムで余生を送らされるのである。

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介 訳)

針と球はマンハッタンの形態的ヴォキャブラリーの両極端を構成し、その建築的選択肢の両外縁を形作っている。 針はグリッド内に位置する最も薄く最も内容積の小さい構造物である。 それは最大限の物理的インパクトと極小の土地面積とを両立させる。つまると…

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介 訳)

マンハッタンはパリの対立物であり、反ロンドンなのである。

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介 訳)

マンハッタンは進歩という名の演劇である。 ※太字は出典では傍点

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介 訳)

波瀾万丈の人生を送った映画スターほど、我が強過ぎて決まりきった人生のパターンには飽き足らず、さりとて己れの意図を述べるほどには頭が整理されておらず、また事件を記録または記憶しておくほど用意周到でもない場合が多いものだ。そこでゴーストライタ…

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介 訳)

マンハッタンの建築とは、過密の活用のためのパラダイムなのだ。 ※太字は出典では傍点

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介 訳)

マンハッタニズムとは、アーバニズムのイデオロギーである。

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介 訳)

マンハッタンは見るものに、建築のエクスタシーというものを一貫して与え続けてきた。 それにもかかわらず――或いはそれ故に――、マンハッタンの都市としてのパフォーマンスとそこに含意されるさまざまな意味は、建築を職業とする人々から一貫して無視され、抑…

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介 訳)

マンハッタンは二十世紀のロゼッタ・ストーンである。