2013-12-21から1日間の記事一覧

井上ひさし『おれたちと大砲』

神田お玉ヶ池の『玄武館』、人気の千葉道場は費用(かかり)が安く上るというので定評があるが、あれは安かろう悪かろうの口だとおれは睨んでいる。安いからそこら中の猫だの杓子だの擂粉木(すりこぎ)が集まってくる。当然教える方の手が足りなくなる。となる…

黒井千次『五月巡歴』

「待ってくれ。こんな時間からどこに行くんだ。」 「余計なお世話よ。私の自由――。」 振り向きもせずに履き慣れたバックスキンの黒い靴に足を入れて扉の鎖をはずす。居間がはずれてそのまますっと家の中から出て行こうとしているのを杉人は感じる。

上田秋成『雨月物語』巻之一、「菊花の約(ちぎり)」

青々(せい/\)たる春の柳、家園(みその)に種(う)うることなかれ。交(まじは)りは軽薄の人と結ぶことなかれ。楊柳(やうりう)茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや。軽薄の人は交りやすくして亦速(すみや)かなり。楊柳いくたび春に染むれども、軽薄の人…

夏目漱石『虞美人草』

真葛(まくず)が原に女郎花が咲いた。すら/\と薄を抜けて、悔(くい)ある高き身に、秋風を品よく避(よ)けて通す心細さを、秋は時雨て冬になる。茶に、黒に、ちりちりに降る霜に、冬は果てしなく続くなかに、細い命を朝夕に頼み少なく繫なぐ。冬は五年の長き…

川端康成『舞姫』

「だいじにしていただいてゐるのは、よくわかりますわ。」 と、波子はおとなしく答へた。心の戸を、半ばあけて、ためらつてゐる感じだつた。あけきつても、竹原ははいつて来ないのかもしれぬ。

夏目漱石『こゝろ』「先生と私」

「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白さうに。空(から)の盃でよくああ飽きずに献酬が出来ると思ひますわ」

小野小町

わびぬれば 身をうき草の ねをたえて さそふ水あらば いなむとぞ思ふ