2015-06-28から1日間の記事一覧

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

青春は、彼女にとって、過渡的な年代ではなかった。現代の娘にとって、青春というものは、人間の生涯に一回だけ現われる真実の本来的な時期だったのだ。成熟などというものを彼女は侮蔑していた。イヤ、彼女にとっては、未成熟が成熟にほかならなかった。顎…

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

イヤ、それにしても、からかうということは、敬意の表現以外のなにものでもなかった。なぜならば、人を嘲る心の底には、人に気に入られたいという有害無益な欲望がひそんでいるのだから。もしおれが嘲弄をこととしたのなら、つまるところ、それはおれが嘲弄…

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

「足。」現代性にたいするおれの関心をかきたてようとするのだ。「足にきまっている。わしはおまえたちを知っているのだよ、おまえたちのスポーツ、新しいアメリカナイズされた世代の風俗習慣のことを。手よりも足のほうがいいのさ、おまえたちにとっては足…

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

「ですが、教授、そんな子供のような口をきかれて……」 すると、子供にかえった老人はそれに答えて言うのである。 「なにもかも、みんな、子供で裏うちされているんだよ。」

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

きみたち芸術家は自分の使う語句のすべてから身を避けるよう試みたまえ。自分の言葉を信じてはならぬ。自分の信念のまえで警戒を怠ることは禁物だ。自分の感情に心を許してはならない。外にむかって現われている自分から後退すること。なによりもまず、いっ…